トライバルタトゥーとは

世界各地のトライバルタトゥー

日本では中世以降、衰退したトライバルタトゥーですが、世界を広く見れば、発展し洗練の度を重ねたものがあります。
日本に近いところから見ると、台湾があります。
日本による植民地支配の時期にほとんどが失われましたが、それよりも過去の時代には、
パイワン族やアタヤル族など多くの先住部族の間で顔面や背中、腕などにタトゥーをほどこす文化がありました。
歴史的系統としては、フィリピンを経て南太平洋地域とのつながりがあると考えられます。
フィリピンでは、ルソン島のイゴロ族、ティンギアン族、ビサヤ諸島のピンタド族、イロカノ族、ミンダナオ島の多くの部族で
トライバルタトゥーが行われていました。ほとんど全身に、まるで服を着ているかのように広範にタトゥーをほどこす点に特徴があります。
そして現在、トライバルタトゥーのモチーフにもっとも大きな影響を及ぼしているものとして、
マオリ、サモア、マルケサス、ハイダ、ボルネオなどといった南太平洋の諸地域のものがあります。
それぞれの地域で独自の発展を遂げており、それぞれ特有の魅力を持っています。
南太平洋地域のトライバルタトゥーは、幾何学的な模様をモチーフにスピリチュアルな意味を持たせた意匠が中心になります。
恋人や家族、あるいは戦場で倒した強敵との同一化を願うメッセージやアイコン、そのほか、社会的・宗教的・呪術的・儀礼的意味が込められています。
もう少し離れた地域のものとしては、中南米があります。
16世紀のスペインによる侵略以降、すたれてしまいましたが、紀元前400年頃に偉大な文明を築き上げたマヤ族や、
スペイン人達の入植まで繁栄していたアステカ族など、中米地域の諸部族、またきらびやかな黄金の装飾品で知られるインカ族などの南米諸部族の間で
さかんにタトゥーが行われました。
正確な天文学的知識を持っていたことで知られる彼らの石造建築物に刻まれた象形文字をイメージさせるモチーフがメインでした。